板垣雄三日本問題としてのパレスチナ問題現代思想5月号

前回は酒井啓子さんの本911後の現代史を手がかりにしてパレスチナ問題の後景化という状況をどう考えるかについて書いたわけだがそもそもパレスチナ問題について後景化とか希薄化という問題意識さえないというのが日本社会の現状であろう。そういう意味では現代思想5月号の特集パレスチナイスラエル問題暴力と分断の70年は実に充実していて読みごたえのある中身の濃い論考が並んでいる。今年がイスラエル建国ナクバから70周年という節目の年であることから企画されたものであろうがアクチュアルな観点からも意味のある企画だと思う。

私は前回の記事でパレスチナ問題の後景化というのは世界のパレスチナ化の裏返しではないかというようなことを書いたのだが本誌に載っていた鵜飼哲さんと臼杵陽さんとの対談ナクバは何を問いかけるのかにおいて鵜飼さんが同じような問題意識で世界のイスラエル化と発言されていて膝を打った。世界の大きな流れの中でパレスチナイスラエル問題を位置づけることの大切さを改めて確認した対談だった。

鵜飼ムスリムユダヤ人教徒の関係をこれからどうしていくのか。これは世界各地で喫緊の課題となりつつありますし特にフランスでは共和国の将来を左右するようなテーマになりつつあります。

臼杵さんは日本のイスラエル化が進行していると警鐘を鳴らされています。私もその意見に賛同します。二一年九月一一日以降アメリカがまずイスラエル化していった。そのアメリカに引きずられて世界がアメリカ化していった。つまりイスラエル化するアメリカに引きずられたことで世界がイスラエル化していくという大きな流れがありました。しかし日本はそのなかでもある種の地政学的条件のなかでとりわけ特異な経路をたどってイスラエル化しつつあるのではないでしょうか。

現代思想5月号p35

現代思想2018年5月号特集パレスチナイスラエル問題暴力と分断の70年1512円

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そこで日本社会はなぜイスラエル化していくのか日本人はなぜパレスチナ問題を真っ当に理解できないのかについて考えたいのだがその場合に掲題の論考は大変重要なことを2つ指摘している。すなわち日本が欧米の歪んだ俗説に惑わされていることと日本人に潜む内なる植民地主義という問題である。

まず第一の欧米の歪んだ俗説とは反ユダヤ主義セム主義のことである。すなわち板垣氏の論考によれば日本人は欧米の反ユダヤ主義が土台にあるパレスチナ問題の構造が見抜けない。だから第三者的で中立論的な見方からなかなか抜け出せないのだと。

ところで先日池上彰の現代史を歩くという番組でエルサレムを取材した模様を観たのだが意外と良い内容だった。良い内容というのはイスラエルに偏ったものではなくパレスチナ問題を政治的な土地争いとして扱っていたという意味でだが日本社会の良心的な部分も結局はあのような中立公正レベルに留まっているわけである。池上彰の現代史を歩く第4回エルサレム

そこで気楽な第三者の気分でユダヤ人とアラブパレスチナ人という二つの陣営に分かれて民族的宗教的に敵対し泥仕合の土地争いを演じているのだからどっちもどっちであって良いも悪いもないお互い話し合い譲り合って平和になってほしいあるいはともかくもテロにも戦争にも反対だといった考えかたにとりつかれてしまう。それが公正中立で穏当な立場だと考えてしまうわけです。植民地主義人種主義がピンとこない。それらの被害者の見分けがつかない。板垣雄三日本問題としてのパレスチナ問題同誌p61

板垣氏の論考は内村鑑三大川周明柳田国男など大正期の文化思想が1917年バルフォア宣言を起点とするパレスチナ問題にいかにコミットメントしてきたかをたどりながらそこに反ユダヤ主義に囚われた中立論的紛争論的な見方が形づくられていったことを確認している。つまりパレスチナ問題がそもそも民族宗教紛争などではなく植民地主義とそれへの抵抗したがって人間の尊厳の回復という問題だという本質に日本社会がなかなかたどり着けない思想的根源を歴史的に探り出したわけである。

そこで私たちは第二の論点である内なる植民地主義の中に閉じ込められているのではないかという問題が問われることになる。この問題を突き詰めない限りはパレスチナ問題を真に理解することもできないのではないかつまりパレスチナ問題を自分たちの立場や態度を鋭く問い返す問題として理解できないのではないかと板垣氏は問題提起するのである。

日本人の内なる植民地主義は日本の国家としての歴史が古代以来植民地を広げていく歴史であったことの無自覚から来ていると板垣氏は指摘する。

日本が国家として形をなすのは七世紀前後ですがそこでは蝦夷の討伐が国家形成の強力な動力となりました。そしてその後も一貫して日本という国の歴史は東北へそして南西へと植民地を広げていくプロセスでありことに東国を自らの内側へと取り込んでいくプロセスでした。俘囚ふしゅうという言葉がありますがいわばうつろわぬ民を外側に置きつつ従う側の民を下積みとして組み込んでいった。そういう歴史だったわけです。

中略

蝦夷との戦いのなかで武士という階層が登場し武士政権が成立する。そして奥州戦争を通して鎌倉幕府が成立する。その幕府の総大将が征夷大将軍という呼称を受け継ぐ。この夷つまり外側の部分は後にアイヌ民族を指すようになります。アイヌを討伐する大将軍が一九世紀の半ばまで日本における権力の中枢を占めていたわけです。

板垣日本問題としてのパレスチナ問題同誌p68

2008年1月25日先日の朝日新聞アイヌ民族が農耕生活を送っていたことを証す跡が道内各地で発見されたと報じられました。従来アイヌ民族は狩猟採集をもっぱらとし農耕は自家菜園程度の小規模なものでしかなかったというのが定説でしたから画期的な発見です。では何故その定説ができたかというとアイヌによる反日蜂起後それまで耕作のために使用されてきた鋤のような鉄器がすべて没収されたため以後は木の枝などしか使うことができなくからだというのです。松前藩による弾圧がアイヌ生活様式を変えてしまったのですね。凄まじい話です。

大道寺将司最終獄中通信河出書房新社p151〜p152

最終獄中通信2052円

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今私たちに求められているのは日本の歴史を植民地主義という次元で見直す歴史認識なのである。20世紀以降に限定されない日本の国家に超歴史的に貫通する植民地主義を透視すること。そういう視点を持つことがパレスチナ問題の見方の転回と深化にもつながる。逆に言えばそういった歴史認識の土台がなければいつまで経っても上記のような紛争論的中立論的なあるいは池上彰的な見方を突破できずパレスチナ問題を内在的に理解できないだろうということである。

現在私たちは北海道としてしかあの島のことを認識することができなくなっていないでしょうか。先住民の歴史と地名とを消し去ろうとして消し去れないでいる典型は日本米国イスラエルの三国でしょう。ことさら日本の特異性は明らかです。板垣日本問題としてのパレスチナ問題同誌p68

こういう植民地主義的立場からの差別的な歴史認識が今日に至るまでの日本のパレスチナ問題との関わり方の大枠を形づくっている。今の日本のイスラエル化日本とイスラエルとの軍事的な関係強化という事態もそういう文脈植民地主義で理解できるわけである。

臼杵日本社会の一般的な常識としてはイスラエルユダヤ人というところに留まっていてイスラエルの国家としての性格へ議論が及ばない。それは超えていかねばなりません。鵜飼臼杵ナクバは何を問いかけるのか同誌p36

こういう認識レベルだから日本ではイスラエル建国を

民族浄化

としてとらえる視点は共有されないわけである。

臼杵ナクバに至る事態を民族浄化と捉えたのはやはり大きな視点の転換だったと思います。イスラエル側としては隠蔽したかった事実であり明示されればイスラエル国家建設の正当性が失われてしまうからです。

中略

つまりイスラエルによるパレスチナ人虐殺という問題はイスラエル国内では隠蔽する方向に動いている。それが逆にイスラエル国外ではいっそう明快な定義で民族浄化の事実を語る動きを生んでいる。

鵜飼臼杵ナクバは何を問いかけるのか同誌p22〜p23

日本の国家は上の引用で臼杵さんが言うところのイスラエル国外ではなくイスラエル国内に足を置いている。つまりイスラエルによるパレスチナ人虐殺を隠蔽する側に回っているのである。それが日本のイスラエル化の本質的事態である。

フォトジャーナリストの広河隆一さんもイスラエルが推し進める人口論的な解決法にひとかたならぬ不安を示している。

イスラエルの土地からパレスチナ人をすべて追い出すという人口学的な解決法に対してはいままでであれば何重にも歯止めがかかっていました。最後の歯止めは逆説的に見えますがアメリカでした。人口的な解決は親米勢力を中心とする中東の各国を崩壊させるからです。しかし歴史が見えないトランプ大統領によってその歯止めが外されつつあります。パレスチナ人を完全に排除し絶望に追いやることことがどのような混乱を引き起こすのかがわかっているにもかかわらずそれでもイスラエルの右派政権とともにやみくもに賭けに出る動きが強まっているということです。そうした動きのなかで何か非常に恐ろしいことが起こりうるのではないか。僕は大きな不安を抱いています。

広河隆一教師としてのパレスチナ同誌p15

昨日の米朝会談に関しても日本政府の焦点は朝鮮戦争終結在日朝鮮人に向かわず拉致問題拉致被害者家族へと横滑りしてしまっている。朝鮮に対する植民地支配や南北分断に歴史的責任を持つ立場にある国の政府としては本当に恥ずかしい話だがこういう朝鮮に対する歪んだ認識も植民地支配民族浄化という視角から日本問題としてパレスチナ問題を受容できないことと同じ土台の上にあるわけである。

大道寺将司最終獄中通信より

拉致問題ばかり繰り返す日本外交の硬直性とそれゆえの孤立化が露になったのではないでしょうか。対照的に北朝鮮はタフです。2007年2月14日

E-KONEXT(eijing9)2018年6月12日